畳職人のご紹介
最初のお電話から見積り - 寸法 - 家具移動 - 畳作り - 畳の納品まで
店主がすべて一貫して行います。
二代目店主 五十嵐 実

畳と半世紀...寝ても覚めても畳
先代(祖父)から畳を学んできました。祖父は15歳から新潟県で泊まりこみの畳修行をし、弟子入りをしました。食事つきの修行先で、給料はなかったようです。最低賃金はありません。畳漬けの毎日、祖父は畳修行を6年間やってきたのち、21歳に畳職人として上京しました。その4年後に独立。とにかく畳替えの注文にこたえるべく、朝4時に起床し、深夜1時まで畳作りを休みなく3か月。そんな畳に打ち込む初代から畳を学んできました。
二代目は船橋市で生まれ育ち、4人の息子の6人家族です。高校卒業後は、ディズニーリゾートの運営会社に入社、ディズニーランド開業初年度の準備に携わります。(オープン前のテスト開園でアトラクションが乗り放題でした。)その後、五十嵐畳店の二代目として畳職人になりました。
畳をはじめて間もないころは、なかなか思うように作れません。10センチの針が親指の爪に貫通したり、乾燥する冬は手が畳に擦れていき、深いアカギレ。パックマンの口のような傷口のアカギレに子供たちが驚いていました。災難はたたみかけるように、腰に異変が起きはじめます。畳づくりでかがむ体勢、エレベーターのない団地の階段で30kgの畳を引き取り、5階のお部屋まで畳をかつぐ。ガチガチに固まった腰は、椎間板ヘルニアになり、背骨のクッションが2つ潰れてしまいました。息子にマッサージをお願いするも、ゲームに夢中な当時小学生3人の息子は、渋々な施術です。コルセットを併用して、なんとか腰を持ちこたえました。それでも、先代のときから頂く畳のご注文に応えるため、朝は5時に起床。コップ1杯の水を流し込んで寝ている体を起こし、昼食はコンビニおにぎりをトラックでかじり、夜は22時まで仕事。朝にそなえてお風呂は2分。アサヒビールとおつまみで1日の疲れをリセットします。日曜日の休める日は、「新婚さんいらっしゃい」を見ています。
そして、月曜日から畳づくり。このような生活を38年間、畳と向き合いつづけております。ご縁をいただける以上は、誠実・丁寧に、畳替えをいたします。
市原 幹雄
畳づくり、畳のお届けを担当
畳一筋の畳職人。
千葉県いすみ市出身。
高校卒業後、畳職人へ。
職歴は畳職人のみで、この道を極めて職人歴56年。56年間、毎日畳と向き合い続けてきました。
畳のことなら何でもお任せください。
寡黙そうな印象に見えるかもしれませんが、
実はお話好き。
雑談中には沈黙がほとんどありません。
二代目店主と、畳の敷き込みに伺います。
二代目の息子

千葉県船橋市出身。
高校は地元の市立船橋高校を卒業。
大学卒業後は「幅広く業界をみてみたい」「売りたくないものは正直に売りたくない」という思いで無形商材である人材会社に入社。心からやりたいものを探すべく、仕事柄100ほどの業界とかかわり、休日は新しいことにチャレンジしますが、自分の中でいまいちピンとこず。あるときホームページ作成の選択肢を知り、せっかくならと父の畳屋のホームページを作ろうと思い、作成。畳のことを調べていくうちに、畳の奥深さや危機的現状を知り、自然と畳を残したいと思うようになりました。今は、仕事と育児をしつつ、職人である父の想いや意向を何度も確認しながら、ホームページを更新しています。
五十嵐畳店 四代目予定

元気にスクスク成長中!